20180917_03
1つまえでボロクソに書いてしまったが、2018年現在においては漫画の制作スキルのみ、というのは会社に勤めようとしたときに武器になりにくい。
これが年齢も重なって強く実感できたのだ。
いい経験だったと思う。
今今の今、絵を描くことができるスキルというのは表現者ではなく作業員と同じような扱いになる可能性があることを覚書したかった。
作業員とはいっても創ったものに対して大きな付加価値を与えることは当然可能である。
付加価値がつくことが1表現者としての、ある意味では完成形ともいえる。
これは、どこでもいえることだが労働者としてのパフォーマンスが向上したとき、その人材は唯一無二になるということだ。
そうなることで自分にしかできない価値を社会に還元できる。
唯一無二だけに、誰よりも素晴らしい技術、作業効率、業務の回し、色々と可能性はある。
目に見えない技術だってあるのだ。
絵を描くからには制作したもの、成果が命である。
当然のこととして、会社勤めや社会経験が長ければわかることだろう。
価値を提供できない技術はムダな技術になってしまう。
絵描きはそれが制作された作品。
あくまで社会貢献に繋がる技術的価値の話だが、本人から価値を創り出せれば会社勤めとは一線を画した表現者になりうる可能性がある。
誰でも創れる。誰でもなれる。誰でも分かる。
次に続く。。。
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